狸のしっぽ 2002年



新しい年の始まりに  2002.1.11   

新しい年を迎え、まるで、白いキャンバスの前に立っているような感じがしま
す。今年はそこにどんな私を描くことになるのかとても楽しみです。
21世紀になって、私は色々なことをやったり書いたりしてきましたが、その
活動を支えているのは、私達の心が自由で平和であって欲しいという思いです。

私が今まで出会ったものの中で、私を感動させ、私の心と体を育ててくれたも
のは色々ありますが、その中で、特におすすめなのが、「祈り」「自助グルー
プ」「快気法」です。私は、それらを「狸の三つのお宝」と呼んでいます。
それらは、誰にでもできて、お金がかからなくて、効果抜群、人畜無害、自分
も周りもなんか明るく平和になってゆける、そういうものです。今私が、こん
なに元気で楽しく生きていられるようになったのも、そのおかげです。
ということで、今年も、この三つのことを縁ある人に伝えてゆこうと思ってい
ます。

「快気法」については、「あくびからの革命」という文章でこのホームページ
で紹介したのですが、その文章がきっかけで、健康雑誌の「壮快」2002年
2月号(マイヘルス社)に、私の投稿分が2ページ、「快気法」を考案された
河野智聖さんを取材した記事が2ページ掲載されました。そしてそのコーナー
には、その他にもあくびをすることを提唱している人達の文章が載っていて、
とても参考になると思います。

「自助グループ」と「祈り」に関しては、私の書いた本「わたしの応援歌」を
読んでいただけると、多少は理解していただけるのではないかと思いますが、
このホームページでも、それらについて語ってゆこうと思っています。

ところでみなさんは、今年一年、どんな目標をもって生きてゆこうと思ってい
らっしゃいますか。
私は、元旦の朝に「自分に勝つこと」という言葉がひらめきました。まさに私
にぴったりの言葉です。
私には、つい人と自分を比較して、「相手に負けたくない、自分のほうがすぐ
れている」と思いたがるクセがあるのです。それを少しでも改善したいと思い
つつなかなかそれができないでいるのです。でも今年は、「人に勝つことより
自分の中の傲慢な想いや、自分を甘やかす想いなどに勝つことのほうがステキ
だよ」と、ことあるごとに自分に言い聞かせようと思いました。

そしてもう一つ、平和な心を求めているのに、私の中には、つい人を差別して
しまう心があるのです。「この人は好きな人、この人は私にとってどうでもい
い人」と、分け隔てをして、相手によって態度を変えてしまうのです。それは
随分寂しい事だなと思うのですが、発展途上の私はそんな風な人間でもあるの
です。
どうしたらやさしくあたたかい人になれるのかなあと思っていたら、「神さま
だけを心の中に住まわせよ。」という言葉に出会いました。確かにそのとおり
かもしれないけれど、頭ではわかるけれど、心の底からわかるわけではありま
せん。
その時ふと、「神さま」という言葉を、「愛」という言葉に置き換えると少し
わかりやすくなると思いました。
それからさらに、「愛」という言葉を、「私が大好きで憧れていて、その人み
たいになりたいなと思っている人の名前」にしてみました。すると心の中がふ
んわりとあたたかくなったような気がしました。
そう、心の中に好きな人のことを抱きしめている時は、誰にでもやさしくなれ
そうだと感じたのです。

ということで、今年も私は、泣いたり、笑ったり、反省したり、人に憧れて好
きになったりしながら、自分を生きようと思っています。



「おむすびころりん」2002.2.8


これは昔ばなしではなく、つい最近のある親子の話です。
食べたり飲んだりするものは、できるだけ安全で自然なもの、添加物のないも
のを取り入れたいと思っていたある母親がおりました。しかし子供が大きくな
って外に出て働くようになった時、夜は遅く帰ってきて、朝は遅刻ぎりぎりで
家をとびだしてゆく。休みとなれば、どこかへ遊びに行ってしまいほとんど家
に寄りつかなくなったのです。
「どこで何を食べているのやら、健康管理はどうなっているのだろう。」と、
母親は心配になりました。

そして、あれこれ悩んだ結果、毎朝おむすびを一つつくって、子供にもたせる
ことにしたのです。
そして、そのおむすびに「感謝の祈り」を込めたのです。

その母親は、おむすびを作る時に次のようなことを言ったり、心の中で思った
りしたのです。
「お米さんありがとう。じゃこさんありがとう。お塩さんありがとう。食べ物
さんありがとう。」と言っておむすびの材料に感謝します。それから、「○○
さんの肉体さんありがとうございます。」と子供の名前を言いながら、こども
の体(をつくっている細胞やすべての組織)に感謝するのです。そして、「こ
のおむすびのエネルギーが子供のいのちの糧となりますように」と祈るのです。

そして、こんな風に祈りながら、おむすびをつくっていると、栄養のバランス
がどうだとか、ビタミンやミネラルが不足しているのではということが、気に
ならなくなってきたのです。なんだか、このおむすびを食べれば子供も、元気
に仕事ができるのではと思えてきて、心配な気持ちが少しずつ薄らいできたの
です。

そして子供は、始めは黙っておむすびを持っていっていましたが、そのうち、
「おむすびをつくってくれてありがとう。」というようになってきました。
「ありがとう」という感謝の気持ちを込めてつくったおむすびを食べているの
だから、そんな風になるのも不思議ではありませんよね。ふふふ。めでたし。
めでたし。「おむすびころりん。すっとんとん。」

ということで、私は、「ありがとう」という言葉は、一番簡単な「祈り言葉」
だと思っています。感謝をすることは、その感謝の対象となったものにパワー
を与えることになるのだと思います。そして、そのパワーが祈った人にも戻っ
てきて、喜びを与えてくれる。そういうエネルギーの交流、(愛の交流)が祈
りだと思います。
お花でも、明るい祝福の言葉や感謝の言葉をかけてあげたものは、より美しく
元気よく咲くと言われてますね。人間をはじめとし、山、や海や大地、その他
の森羅万象どんなものでも、それは同じだと思います。
「祈り」とは、いのちの力をのり出す(引き出す)もの。祈れば祈るほど(与
えれば与えるほど)、祈った対象と祈った本人の中から「いのちの力」が無限
にわきでてくるものなのだと思います。

ところで、私は以前「笑いながらの革命」という文章の中で、腹が立ったり、
辛かったり、嫌だったりすることなど、どんなことにでも、最後に「ふふふ」
とつけて笑いに変えてゆこうということを書いたのですが、それに追加して、
「これもプロセス」という言葉をつけると、さらに効果絶大の「おまじない」
になることに気が付きました。

というのは、ある友達が、思うようにならない家族とのことで腹を立てていた
時、たまたま届いた私の手書きのパーソナルレターに「ふふふ、これもプロセ
ス」という言葉が書いてあったので、ためしに声に出して言ってみたそうです。
すると、あら不思議、なんだか怒りがやわらいできたと語ってくれたのです。
そして、さらにいいことに、「そういえば、子供は、私や先生とかが怒っても、
ちっとも気にしない風で笑っていた。もしかしたらあの子も、心の中で、「ふ
ふふ、これもプロセス」と思っていたのかしら。そうだとしたら、子供のほう
が一枚上手、大物だと思った。」と、なんか嬉しそうに話してくれたのです。
そして、この言葉はスゴイ。自分を救うおまじないの言葉だね。ということに
なったのです。

ふふふ。嬉しいですね。ありがたいですね。こうなったらこの「ふふふ、これ
もプロセス」を、ありがたい狸のおまじないとして、流行らせたい!と私は思
いました。
そしてさらに、このおまじないをパワーアップするために、「ありがとう」も
つけたしてはどうかなと思いました。

何があっても、暗く落ち込まずに、「ふふふ、これもプロセス。ありがとう!」
なんだか物事が、みんな良い方に展開していきそうな感じがしますね。ふふふ。
めでたしめでたし。
「たんたん狸のおまじない。唱えてみるとあら不思議。心が明るく軽くなる。」



「自分を愉快に生きる:面白楽器づくり」2002.3.1


人間は不思議で面白いなと、いつも思う。
この心や体はいったいどういう仕組みになっているのだろう。この心と体一つ
で、いったいどれだけのことができたり楽しめたりするのかなと思う。
そんな私の今一番のテーマは、自分を楽器にすること。心と体と声を日々育て
続け、より美しくひびきのいい楽器にしようと思っている。そしてそれが、面
白くて、楽しくて、いいこといっぱいなのだ。

というのは、自分を楽器にするためにやっていることが、そのまま、自分を生
き生きと健康にさせ、美しく老いてゆけるための方法にもなっているし、さら
に、それを極めてゆけば、色々なジャンルで天才といわれる人達の体に近づい
てゆくということにもなるからだ。
そう、一石二鳥、三鳥、ぐらいのお得な気分なのだ。ふふふ。愉快愉快。

歌の指導をしてくださっている先生は言われます。
「息を下腹に入れて、保って、その息を声にしてゆくのです。」と。
これは、私にとって、とっても難しいことです。
リラックスしたいと思っても、無意識に力が入ってしまうし、胸は内側に閉じ
てしまいがちで、呼吸も意識してないと浅くなってしまいます。
そんな私の体にしみついた癖や、歌おうとする緊張感で固くなってしまうとい
う心の癖をとってゆかなければのびやかな声にならないのです。

そして私は、そんな心と体を育てるために、色々なことをやってきました。そ
して今は、あくび体操「快気法」によって、体のこわばりをほぐして、ひびき
の伝わりやすい体にしてゆこうとしたり、体に対する誤った思い込みに気づき、
赤ちゃんが自分の体の機能に気づいて、少しずつそれを一番自然なやり方で動
かしてゆくみたいに動かしてみることとかに取り組んでいます。そして、笑う
ことも、楽器づくりにはとても役立つのです。

さらに先生は言われます。
「声を頭の中にひびかせて、そのひびきを顔から15cmほど離れたところに
ある針の穴のような一点に集めなさい。」と。
「何だそりゃ!そんなことできましぇーん。」と、思うのだけど、そういうこ
とを目指すことで、聴く人に伝わってゆく声のひびきになるというのである。
そうなのだ。プロの歌手は、にこやかに、自然体で歌っているけど、見えない
ところで、色々工夫しているのだ。
歌は格闘技だというのも、本当だなと思ったりもする。

「私は一生かかってどこまでやれるようになるのだろう。」と思う。
スタートは遅すぎたけど、自分を楽器にしたいという私の強い思いが、それを
サポートしてくれる人との出会いへと私を導いてくれている。後は自分のなま
け心に勝って練習を続ければいいのだけど、少しでも、楽に早くそれを実現す
る方法はないだろうかと考える私である。ふふふ。それが狸流なのだ。
そして、そんな私の声をホームページで、リアルタイムで、お届けできるとい
うのも、なんか楽しい。



触れられて、人は育つ 2002.4.1

私は、4年程前から、野口晴哉氏がつくられた、野口整体について学んだり、個人
指導を受けたりしている。そのきっかけは、「歌いたい!声を育てたい!」と思っ
ていたときに出会った本、「聖なる癒しの歌」渡邊満喜子(金花舎)に、野口整体
の話が載っていたからである。

そして今、野口晴哉氏が伝えてくださったことを体験して、何よりもありがたいと
思うのは、自分の体を信頼できるようになったことである。以前は、病気や怪我に
対する不安や恐怖心があったのだけど、今はそれらを、自分の心と体が良くなって
ゆくためのプロセスと受けとめられるようになった。
もちろん、そう思えるようになったのは、他にも色々なことを学んだからではある
のだけど、知識として知っているのではなく、自分の体で体験して納得しなければ
、本当の信頼感はわいてこないと思う。

たとえば、野口氏の本には、「アキレス腱を切っても、愉気(手を当てること)で
治るのは当たり前、手術で治すより経過がいい。」と書いてあるのだけど、それを
素直に信じることができる自分になれたことが、本当に嬉しいことである。
今私が関わっている、自由人(ミュート)で学ばれて、「快気法」等、体育ての講
師をされている相神さんも、アルバイト先で機械に挟まれて、医者からはだめだと
いわれた体を、整体をやっている人達が、数日かけて愉気をし続けたことで、機能
を回復するに至ったという体験をされている。

そう、人間の体は、本来素晴らしい自然治癒力を持っているのである。そしてそれ
はどんな薬にもまさるものなのだ。そして自分の力だけでは大変な時には、仲間に
手を当ててもらって、いのちの力を交流させることで、修復能力はさらに高まるの
である。そして、こうしたことは、何も特別な人だけにある能力ではなく、私達誰
もが持っているものなのだ。

そんな素晴らしい能力を持っている私達のからだを、だめにしているのは、私達の
肉体に対する誤った思い込み、否定的な想い、自己限定の想いに他ならない。
私も数年前までは、そんな風だった。自分の体は弱くて、いつ具合が悪くなるかし
れない不安をたえずかかえていた。自分の体を信頼できない、役にたたないものと
思っていた。そして、どこか具合が悪くなると、医者や薬や健康法をあれこれ頼っ
て、より良いものはないかと求め続けていたのである。
まさに、そのような私の思い込みが、私の体をそのような状態にさせていることに
気づかずに。

とはいうものの、今私が、ピンピンに元気というわけではない。やっぱり、疲れて、
体調をくずしたり寝込んだりする。でもそれをこまったこととは思わないで「ああ、
自分では気づかずにからだを酷使したのだ。それで休みなさいとからだが言ってく
れているのだ。」と受け止めることで、以前より回復が早くなっていると思う。

私の場合、自分に対する自己否定の思い込みは、幼い頃から、そのように思い込ま
されて育ったのが原因であった。そして、そのことに気づき、そのことを改善する
ために、私は、数人のカウンセラーやセラピストのお世話になり、かなり大変で危
険でもあった状態をくぐりぬけて今日に至っている。
そして、その体験から、そんなに苦しまないで、もっと楽に自己否定の思い込みを
消したり、からだに対する信頼感を取り戻せる方法はないものかと、捜し続けてい
る中で、「快気法」(自由人のコーナーを参照)に出会ったりもしたのである。

今私は、心と体を育てるための色々な学びの場で、仲間と一緒に学びつつ自分を育
てているところである。そしてそんな場で、「私は何も感じないのよ。気なんてあ
るの?」と断定される人の言葉を聞くと、かつての自分を見るようで胸が痛む。そ
して、自分自身をもっと育てて、そんな人達にやさしく触れられるあたたかい手を
持った人になろうと思うのである。
何よりも、私自身が、そういった手を持った人達や、未熟でも私を気遣ってくれる
仲間や友達の手に触れられて、心と体を癒し育ててきているのだから。



スズメのお弔い2002.5.1

玄関の脇の所に、スズメが死んでいた。
「庭に埋めてあげなくては。でもどうしょう。こまったな。」と、思った。私
は、スズメの死体を見たり、触ったりすることが嫌なのだ。なんだか怖くて、
気持ちが悪いと感じるのだ。

「たかがスズメ一羽。そんなこともできなくてどうするの!」と自分を励まし
ながら、庭の柿の木のそばに穴を掘る。そして、勇気を奮い起こして、軍手を
はめて、心を落ち着かせるために祈りながら、潰れたようになっているスズメ
を取り上げようとして、ひっくり返す。
「うわぁっ」胸のあたりに、細かい茶色のありがびっしりうごめいている。こ
うなったら何も感じないように、必死で祈りながら、スズメを穴まで運んで、
土をかけて埋めてあげた。
ふ?やれやれ。なんだか一仕事をやり終えたという感じだった。

スズメのお墓に手を合わせ、さわやかな気持ちになりつつも、「まいったなぁ」
という気づきがあった。
今まで、「いのち」とか「死」について、わかったようなことを言ったり書いた
りしてきた自分の幼さや弱さを思い知らされたように感じたのだ。
私は、自分が色々なことを学んで、人間のことも深く知っているようなつもり
になりかけていた。でも、それは、体験や実感の伴わない、頭で考えただけの、
きれいごとだった。
傷ついた「いのち」、死にそうな「いのち」に寄り添いたいと思っていても、私
の心とからだは、それを怖がっている。そういうものと関わりあいたくないと感
じているという現実にはっきり気づかされたのだ。

そして、私はそのことに気づかずに、自分は何でもわかっていると錯覚したまま、
そういう人達に接して、その人達の痛みや苦しみや恐れなど、理解できるはずも
ないのに、わかったようなことを言って、その人達を深く傷つけてきたんだなぁ
としみじみ思った。

今の私は、やっとの思いで、スズメ一羽の死に向き合えたところなのだ。
それでも小さな一歩前進だよね。と、思う。そして「いのち」に対して本当に
謙虚に向き合ってゆこうと思う。

そして私は、体験することの大切さ、ありがたさも、しみじみ感じた。たかがス
ズメ一羽とはいえ、「傷ついたもの」や「死」に向き合うということは、とても
恐ろしいことで、「勇気」のいることなのだ。
そう、「勇気」こそ、本当に欲しくてたまらないものだ。そして、私は、祈るこ
とで、それを呼び起こせた。

ということで、「スズメのお弔い」をしたおかげで、「勇気」が与えられたので
ある。ふふふ。めでたし、めでたし。



「立つ練習」2002.6.6


楽器としての自分の体を育ててゆこうと思っている私は、「ボイストレーニン
グのためのフェルデンクライスメソッド」のワークショップに参加した。そし
て、まずまっすぐに立つことからできていなかったことに気づいた。
たとえて言うと、私は、ブレーキをかけながらアクセルを踏んで車を走らせて
いるような状態だった。

ワークショップの中で、全体に体をゆるめたり、いくつかの動作をやってから
、私はいつものように立ってみて「あれっ、変だな。」と思った。
なんだか後ろにひっぱられていくような感じがして、後ろに倒れていってしま
うのだ。
「おかしいな。いつもと同じように立っているつもりなのに。どうして後ろに
ひっぱられていくのだろう?」
はじめはそのわけがわからなかった。そして「はっ」と気づいた。
自分ではまっすぐに立っているつもりでも、少し後ろのめりで立つという体の
クセが私にはあったのだ。
でも、今までそれに気づかなかったのはなぜ?

それは私が、後ろに倒れないように、それに関連する筋肉を緊張させていたの
で、自分ではまっすぐなつもりでいたということと、さらに、自分が筋肉を緊
張させているということに気づいていなかったということなのだ。
そして体をゆるめるレッスンなどをしたことで、私はやっと自分の体を感じる
ことができるようになったということだ。

もし、体の自然な仕組みにそって、上半身の重さをまっすぐに足の骨の上にの
せてバランスのいい立ちかたをすれば、立つために余分な力や筋肉の緊張はい
らない。そして自分のやりたいことに自分のすべての力を使える。
ところが私は常に、筋肉を緊張させるために自分の力の何割かを使い、さらに
そのせいでその部分を固め、息も、声のひびきも伝わりづらくなっていたのだ。
歌うどころか、これでは、生きているだけでも疲れるはずだ。やれやれである。

赤ちゃんは、立ちあがる時、いろいろなやり方をためして、失敗してころんだ
りしながら、最後には一番バランスよく効率よく立つことができるようになる。
そのことを思い出して、もう一度立つ練習をしようと私は思った。

それにしても、私はいつから後ろのめりの体で生きるようになったのだろう。
これは、何かから身を引く姿勢である。そして私は胸を固めて自分を守ろうと
している。
私にはそうしなければならない事情が過去にはあったのだと思う。そしてその
必要がなくなっても、心と体にしみついたクセはそのまま残ってしまっている。
それに気づき改善してゆくことでもっと楽に生きたいなと私は思う。

ということで、今私が興味を持って体験している「フェルデンクライスメソッ
ド」について少し紹介します。

「指の第三関節はどこですか?」と聞かれた場合、私達は手のひらを見て指の
上から三番目の横しわの所が第三関節だと思いがちです。
でも実際には手の甲の指の骨の出っ張っているところです。手のひらを返すと
横しわができる位置です。私達の指は自分で思っているよりも長いのです。
このことに気づいただけでピアノの演奏が上達したという話を聞きました。

つまり私達は自分の体の機能を実際とは違ったものと思いこんでいることがあ
ります。首や肩や腰などの骨格のあり方についても同様な錯覚があると思いま
す。こういったことに気づくだけでも私達は自分の体をもっと自由に有効に心
地よく使えるようになるものです。

たとえば私の場合、先生がやってみせてくれた動作を、私もやってみようと思
って、こんな風かなと考えた段階で首や肩が緊張してしまって、やる前からや
れない状態になっている。ということを初めて指摘され、「なあんだそうだっ
たのか!」と思いました。これからは、何かをやる前には、「私は緊張してる
ぞ。ふふふ。リラックス、リラックス」っていう感じで、やってみようかなと
思っています。
 


気づきは喜び 2002.7.3 

「気づきは「いのち」のごちそうだ。」と思う。
「あーそうだったのか。」と腑に落ちた時の心地よさ。
「気づいてよかったなぁ。」という思いをしみじみかみしめるありがたさ。
それは、自分が、より自由になって、広がって、豊かになってゆく喜びだ。

確かに「気づき」に至る前には、辛い思いや大変な思いをすることもあるけれ
ど、気づくことで、それが喜びに変わるのは、どんな魔法よりステキだ。
気づくたびに、自分がいかに、何もわかっていなかったのか、自分の小ささや
狭さに気づかされる。
でも、その一方で、自分は本当はもっと可能性に満ちた、すばらしい存在なの
だということにも気づかされる。
それは、ワクワクする冒険の旅を続けているような感じでもある。

でも、気づいただけでは、まだまだ面白くなってはゆかない。
「気づき」という美味しいごちそうを、「いのち」が育ってゆく糧として、心
と体に定着させてゆかなければね。と思う。

       ☆★★★☆

今私は、「気づき」によって、「いのちの回路」を取り戻してゆこうと思って
いる。
私達に本来そなわっているシステムは、完璧で信頼できる最高のものであった
はずだ。そのことを思い出そうということである。

今までの私は、自分の無意識の思考回路や、体の緊張のパターンに気づかずに、
たくさんの情報を収集して、意志の力で、努力によって、何かを学習すること
に、多大なエネルギーを使ってきた。
でも、こういうやり方には、無理やムダが多く、疲れるばかりだと私は気づい
た。

つまり何かを学ぶ前にどう学べばいいかということを考え、学習しようとする
自分の心と体のじゃまをしている要因を取り除いてから学習すれば、より楽に
効果的に学習できる。ということである。
私がこのことに気づいたのは、フェルデンクライスのレッスンを受けたり、ア
レキサンダーテクニックについての勉強をしたからである。
でも、それ以前に、自分の無意識の心、潜在意識の部分を見据えて物事をとら
えるようになっていたからでもある。

そして、何よりも、「のびやかなひびきのある自然な声で歌いたい。」という
目標を持ったことで、私は深い気づきへと導かれたのではと思う。(そう、目
標を持つことが、まず一番!なのだ。)

私は、楽器としての体を育てるために、自分の呼吸に気づくレッスンをやって
目からウロコが落ちる気がした。
私が、気づいたことは、「私の呼吸は浅い。」そして、「何かをしようとする
たびに呼吸を止める。」ということである。
それは、生きるのに必要なエネルギーをたえず少な目にしかとり入れられない
体の状態だった。ということである。
私の肺や呼吸にたずさわる体の部分が、本来の機能の通りに使われていたら、
私はもっと豊かな呼吸ができて、私の体はもっとパワフルで生き生きとしてい
たということだ。

そうだったのだ。「どうしてこんなに疲れやすくて、少し動いただけで息切れ
がするのだろう。」と、思い続けてきたけれど、呼吸によって取り入れる息の
量が足りなかったのだ。と思う。(もちろん他の要因もあるとは思う。)
では、「なぜ、いつから、私はこんな風だったのか?」

「私達の呼吸が浅くなったり、息を止めるのは、心が緊張した時とか、不安な
思いがある時、恐ろしい思いをして怯えたりした時です。」という解説の言葉
を聞き、私は今さらながら愕然とする。

「まいったなぁ!私は赤ちゃんの時からそんな風だったのだ。」
そして、その緊張や怯えのパターンが、心のクセ体のクセとしてすっかりしみ
ついてしまって、緊張したり怯える必要がない時でも、体はそのままの状態。
つまり、息が少ししか入ってこない状態のままだったのだ!
子供の頃から、体が弱く、スポーツが苦手だったので、体を動かすことで呼吸
が改善されたかもしれない機会もないまま、私はずっとエネルギー不足の疲れ
やすい体で生きてきたのだ。

「大変だったなぁ。でも、よく生き延びてきたよ!」と思う。
そして、「歌いたい!」と思ったのは「生きたい!」という私の「いのち」の
叫びだったのだ。ということに気づいた。

奥歯をかみしめ、顎を緊張させるクセが身についていた私は、それによって喉
を緊張させ、首をしめて声を出しているようなものだった。
胸を閉ざし肩を緊張させ息をつめていた私は、歌うために必要な息を取れ入れ
る体のシステムにブレーキをかけているような状態だった。

歌うことをじゃましている要因に気づき、それを取り除くことで、本来の自分
の声で歌えるようになる。
それは、私達が本来そなえている「いのちの回路」を取り戻してゆくことであり、
それは、歌に限らず、スポーツでも、どんなことにでも、当てはまることだと私
は思う。

       ☆★★★☆

赤ちゃんや子供の頃に、周りの大人の言動によって、緊張したり怯えたりするこ
とがなく、体が本来持っている機能のまま、自由に健やかに育てられたら、何だ
かどんなことでもやれそうな、エネルギーにみちた人間になれるのでは。と私は
思う。
私達の「いのちの回路」は、本来素晴らしく、完璧にできているのだ。その流れ
に逆らったり閉ざしたりしなければ。
「いのちの回路」を取り戻すということは、私達の心と体が、心地よく楽になっ
てゆくこと。より自由でリラックスしてパワフルになってゆくことである。

なんだか希望がわいてきて、ワクワクする。半世紀ほと゜生きてきてやっとこの
ことに気づいたわけだけど、遅すぎることはない。今からだって私は私を取り戻
せる。
「気づき」というのは、その人にとって必要な時に与えられるものだ。



自分を生きる2002.8.1

6月7月は、心もからだもボロボロ狸さん状態でした。
しっぽをずるずる引きずって、ヨタヨタ、バッタリ、一休み。という感じで生
きていました。
いつもは、すべてプロセスだよ。ふふふ。と、言っていたくせに、なかなか自
力では、元気を回復できなくて、まいりました。
そして、そんな日々の中で、届けられた、友達のなにげない一言や、思いがけ
ないプレゼントが、狸に元気を与えてくれて、しみじみありがたかったです。

今までごまかしてきたこと、自分を甘やかしいいかげんにしてきたことが、表
面に現れてきて、「目をそらさずにきちんと向き合いなさい。」と、言われる
ような状況が我が身に起こってきました。
それは、新しい展開へと進むために起きていることだと頭では理解しても、心
の痛みや寂しさや虚しさという感情がわきあがり、それに支配されてしまって、
なかなか抜け出せなかったのです。

たとえば、人と人が出会い、意気投合して、何かを始めて盛り上がったとして
も、やがて状況が変わったり、お互いの思いにずれが生じたり、お互いの思い
が伝わらなくなってしまうのはしかたがないことなのかなと思います。
そして、自分の心に正直に生きてきたつもりでも、ほんのちょっとの遠慮とか、
ま、いいかと、流してきたはずのことが、いつのまにか、心の中に不満という
かたちでたまってしまう。

人はそれぞれに、自分の見たい世界、自分の信じたい世界に住んでいるのだと
思います。
同じことを協力してやっている仲間同士でも、長くつきあっている友達同士で
も、自分とは全然違う価値観や世界観を持っていることを、私は、うっかり忘
れてしまいます。きっと私と同じ気持でいるのではという、自分に都合のいい
甘い幻想を持ってしまうのです。そして、「えっ。違うんだ!」と、気づいて
愕然とすることがあります。

家族や仲間や友達など、身近な人との関わりほど難しいのは、それらの人には、
自分の甘えや、欠点や短所が、そのままぶつかってゆくからだと思います。さ
らに、自分の中からわいてくる親との間で起こったさまざまな想いを相手に投
影してしまうからだと思います。
そして色々な問題も、つきつめてゆくと、嫉妬心と寂しさが原因のように思わ
れます。表面上の理屈は色々あっても、私の心の奥底でうずいていたのは、
「私と弟とどっちが好き」「私を愛してよ。私をわかってよ。」という気持な
んだと気づかされます。

自分の身近な人とは、互いにぶつかりあうことで、(その時感じる痛みや、苦
しみによって)お互いに、磨きあうために出会っている人達なのだと思います。
ぶつかることで、角がとれ、閉ざされていたものが開かれたりして、結果とし
て、より深く耕され、広く豊かな自分になってゆけるのだと思います。(ま、
その時は、辛くてボロボロにはなるけどね。)

今、しみじみ思います。人はみんな自分の体験したい物語の世界を、自分が主
人公になって、自分の思い描いたとおりの現実を引き寄せて、生きているのだ
と。そして、どんな物語を生きようとそれはその人の自由であり、批判や非難、
干渉をしてはいけないのだと思います。

そして私はといえば、以前は、明るく有能で、世の中の役に立つ人という役柄
を演じようとしていました。そして、それが一転して、傷だらけのみじめなヒ
ロインが、自分を取り戻してゆく物語にはまっていました。
そして今は、できれば、お気楽狸のラブコメディーという物語がいいんだけど
なと思っています。ふふふ。

こんな風に、色々なことを体験し、色々な風に考えたりしながら、自分という
人間について知ってゆくことと、自分の可能性を広げてゆくこと、それが、私
にとって、自分を生きることかなと、今はそう思っています。



「プレゼントゲーム」  2002.9.1

中高生に演劇の指導をしている、かめおかゆみこさんのワークショップに参加
しました。
二人組になっての、体のほぐしや、即興劇など、どれも楽しくて、心も体も解
放され、参加者同士の交流が深まってゆくものでした。
その中で一番心に残ったのが「プレゼントゲーム」でした。
いくつかの約束事と注意点を守ってやってゆくと、最後には、目にはみえない
けれど、「とっても楽しくて幸せな気持」というプレゼントをもらえるのです。

やり方はとっても簡単。まず、参加者が輪になって座ります。
一人の人が、隣の人に「はい、プレゼント!」と言って何かを渡します。もち
ろん何もないのですが、渡す時の動作で、その大きさや重さが、なんとなく伝
わります。

次の人は、「まあ、かわいいぬいぐるみ」とか、「あら、これはめずらしい食
べ物」とか言って、それが何であるのかを語ります。そしてそれを、「はい、
プレゼント」と言ってさらに隣の人に渡します。

次に受け取った人は、それに何かを付け足して、そのプレゼントをさらにステ
キなプレゼントにします。たとえば、ラベルを見るふりをして、「あら、この
ぬいぐるみは、イギリス製のくまのぬいぐるみだわ。」と言って隣の人に渡し
ます。

そして次の人は、たとえば、「まあ、この手触り、ふかふかしていて気持がい
いわ。」と言って次の人へ渡します。

するとつぎの人は、それをひっくり返して、「あら、ここにボタンがある。何
かしら。」と言って押すまねをしてから、声色を変えて、「nice to 
meet you!」「おっやっぱりイギリス製だ。英語をしゃべるんだ。」
という風に言ったりして次の人に渡します。

参加者の想像力によって、一個のぬいぐるみが、どんどんステキになってゆき
ます。
思いがけないユニークな発想や、その人らしい発想が、時に笑いを誘い、そこ
には何もないのに、まるで本当にそのプレゼントがそこにあるような気持にな
ってゆきます。
参加者の人数にもよりますが、10以上は、色々な要素を付け足していって、
最後は一番始めの人に手渡されて終わりになります。

ここでの約束事は、前の人が言った言葉を生かして、決して否定しないこと。
それをさらに発展させてゆくということです。
たとえばウケをねらって、「ボタンがついてたけど、3回しゃべったら、電池
切れで作動しなくなっちゃった。」とか「ふかふかの毛をしているけど抜けて
きちゃうね。家で飼ってる犬の毛とそっくりだ。」というように、ステキなと
ころがだめになってしまうようなことを言ってはいけないということです。
何かを否定したり、けなしたりすることで、一時は、笑いを誘っても、それで
は、物事は発展してゆかないし、プレゼントをもらう喜びが増えてゆきません。

ちなみに、当日私達がこのゲームをやった時、かめおかさんから、何か大きな
物を渡されて、私は、それを大きな壷として隣の人に渡しました。
すると次の人が「バラの花を100本ぐらい、いけられそう。」と言いました。
その時かめおかさんが、「そういう時は、「わぁ、バラの花が100本入って
る。」と断定しようよ。あいまいにしないで、自分がいいなと思ったことを、
はっきりこうなんだと言ったほうが、プレゼントがステキになってゆくでしょ
う。」と言われました。
このことも、このゲームの大切なポイントです。
どんなことを考えようと自由なのです。そしてそれは、けっして否定されないの
です。思いっきりステキなこと、素晴らしいことを語れば語るほど、自分もみん
なもますます楽しく面白くなってゆくのが、このゲームの特徴です。
そしてこの壷は、やがて、備前焼の高価な壷であることが判明してゆくのです。

たとえ架空のプレゼントであっても、どんどん付加価値がついて、ステキになっ
てゆくプレゼントを、隣の人から、「はい、プレゼント」と言って手渡される時
は、なんだか本当に得したような嬉しい気持になってゆくものです。私達はたく
さん笑って心から幸せな気持になって、このゲームを終えたのです。

明るくて、パワフルで、陽気で、楽しいアーティストである、かめおかめみこさ
んのワークは、互いに心を閉ざし、疎外したり、傷つけあったりしてしまう私達
の心を、笑いで解きほぐし、楽しく遊びながら、自然にやさしくあたたかく、つ
なげてゆく素晴らしいものでした。
テレビに張りついて、敵と戦って相手を倒してゆくゲームに興じたりもしている
子供達を相手に、演劇指導の中でこういうゲームを通して、子供達に大切なこと
を伝えてゆこうとしているかめおかさんを本当にステキな人だなと、私は思いま
した。

*おまけの話(かめさんワールドの秘密)*

そして狸は思った。「かめおかさんの明るさと、パワーの秘密は何なのか?」と。
そしてそれは、ワークの後の、夜のお食事会の時に判明した。
「酒だ、酒だ!日本の銘酒の飲み比べだぁ。生きる事が趣味なんだもんね。毎日
が祝祭だぁ。」というような感じで、友達や仲間と、よく飲み、よく食べ、よく
しゃべる。これがかめさんの原動力のようだ。「そうなのか、アルコール燃料で
走っているのか。」と納得した狸であった。

そしてさらに、かめおかさんは語ってくれた。
沖縄の人達のこと。軍事基地のこと。戦争のこと。
アメリカを批判するのではなく、ただ人間として当たり前の心情として、平和を
願ってゆく。そういうことを演劇を通して伝えているということ。

「そうなんだよね。明るく、友好的で、平和な世界は、私達の心の中を、明るく、
友好的で、平和にしてゆくことで、(そういう心になる練習をすることで)実現
するんだよね。」と、しみじみ思った狸でした。



「甦るスーパーヒーロー」  2002.10.4


古代史研究家の、山上智さんが書かれた、「小説聖徳太子・秘文「覚什・太子
伝記」開封」(徳間書店)を読みました。
弘法大師の死後の弟子で鎌倉時代の僧侶である覚什が、聖徳太子に関して伝え
られてきたことをまとめて文章にしたものが、「太子伝記」で、山上さんは、
それを現代語に訳されたのです。

「聖徳太子は、観世音菩薩が人間の姿で現れたお方で、神秘的な力を示されつ
つ、その徳によって人々を導いた。」という仏教説話風の話には、編集をした
覚什の思いが込められていると思います。また、太子が亡くなってから話が伝
わってくる間に誇張や誤解も混じったと思います。

それでも、今までは古事記や日本書紀に記されたことによって、漠然ととらえ
られていた聖徳太子の姿が、当時の人達にとってどれほど、素晴らしく輝かし
い人として見えていたのかが、生き生きと伝わってきて、私はとても感動しま
した。
そして今、聖徳太子は、私の心の中で、憧れのスーパーヒーローとして甦った
のです。

太子は27歳の時に群臣たちにおっしゃいました。「男子には、良馬と良き妻
が必要です。」
そしてすべての諸国から一千頭の馬を集め、その中から心にかなった駿馬を選
びます。そして、膳妃と結ばれます。
「太子伝記」の中で、私の印象に残ったのは、太子が亡くなる時、膳妃と枕を
並べて夫婦が一緒に亡くなったということと、その時太子の愛馬も、後を追っ
て亡くなったという話です。

それはさておき、国の政治をつかさどれる立場に置かれた聖徳太子は、自分の
持てる才能を思う存分発揮して、日本という国の精神的基盤を、勢力的につく
りあげてゆきます。これは、歴史的に見ても事実と言えますが、「太子伝記」
には、聖徳太子が、優れた頭脳を持った高い人格の人であっただけでなく、さ
まざまな霊能力も兼ね備えていた霊覚者でもあったことが記されています。

「太子伝記」の中で、何度も語られているのは、聖徳太子が、前世の記憶を持
ち、未来を見通すことができ、さまざまな予言をしたということです。
私は、それは事実だったと思います。だからこそ聖徳太子は人並みはずれた偉
業を成し遂げることができたのだと思います。そして日本人の心に多大な影響
を与えた、偉大な聖人としての聖徳太子のことを私達はもっと理解したいもの
だと思いました。

ところで、聖徳太子と言えば、「日出る処の天子、日没する処の天子に書を致
す。恙無きや。云々」という言葉を思い出しますが、この国書の文面について
は、「太子伝記」には記載されていないのです。(日本書紀にも残っていない
とのこと)
この言葉は中国の古文献「隋書」に記されているのですが、当時の日本は中国
にくらべれば、あらゆる面で遅れていて、色々なことを学ばせてもらう状態に
あったにもかかわらず、聖徳太子が、毅然としてこのように言ったのはなぜな
のか。
それは、太子が未来を見通すことができた人であり、日本という国を愛し、こ
の国がやがて立派な国に育ってゆくことを確信していたからなのでは。
そして、そんな太子の気迫や、人格の高さが伝わって、国書の返信と使者が使
わされたのではないかと私は思います。

ところでこの本の中には、各章ごとに、覚什の書いたことに対する、山上さん
の解説がのっていて、それもまた古代史の謎解きの面白さがあって、ワクワク
する内容なのです。
ということで、山上さんが指摘されたことで、私にとって興味深かったことを
紹介します。

「混沌とした6世紀後半の日本において、仏教のもつどのような側面が必要と
され、受け入れられていったのか。それは絶対者による救いを説く、「宗教」
としての仏教ではなく、法律や政治制度、そして文化を整えるための「哲学」
と「技術」として導入されたものであることが、本書を読んでいくととてもよ
くわかる。」「太子伝記」には多くの仏教用語が出てくるけれど、それを単に
仏教用語的解釈で読むのではなく、仏教導入にこだわった聖徳太子が、どのよ
うな世界観を持ち、どのような社会を建設することを目指していたのかという
ことも汲み取っていただければと思う。

「私は、色々な古文書を解読しているうちに、我が国の「神道」というのは、
「仏教」の導入に伴って形作られたもののような気がしてならなくなった。」
「一般的に聖徳太子は日本で最初に仏教を広めた人として認識されているが、
実際に彼がやったことは、仏教を広めたのではなく、それまで渾然一体とな
っていた神仏を「神道」と「仏教」という枠組みに分離させたことなのでは
ないだろうか。」

十七条の憲法の内容は、朝廷に仕える諸氏族の人々に対する官人服務規定に
近いものである。
では太子は何を拠り所として この十七条の憲法を書き上げたのだろうか。
近年の研究では、詩経、論語などの諸子の書や、史記、漢書などの史書、仏
典などの語句を利用して書かれたとされているが、私はその中でももっとも
多大な影響を与えているのは「老子」だったのではないかと考えている。

十七条の憲法には「仏・法・僧を敬え」と仏教を重んじるように述べている
個所があることも事実だが、全体を通して見ると仏教色よりも道教思想が色
濃く見えるような気がしてならない。
聖徳太子の業績は、これまで仏教との結びつきの中で語られることがほとん
どであったが、真実の太子像を導き出すには、仏教だけでなく道教にもその
枠組みを広げて見ていくことが必要なのではないか思っている。

聖徳太子の遺品として名高い「七星剣」のルーツを探ってゆくと、道教で邪
を避ける方術の時に用いられる物が在ることがわかった。太子の思想に道教
が色濃く影響を与えていることは、すでに述べたが、太子のお守りであった
というこの七星剣の存在は、太子自身が道教の術を駆使する道士であった可
能性さえ示唆している。

山上さんは、「日本の古代の実情がはっきりしないのは、歴史を動かしてき
た主要人物たちが自らの手で自らの過去を葬ってきたからではないだろうか。
その最もわかりやすい一例が「聖徳太子」だと私は考えている。」と語られ
、さらに、秘文を開封し、「太子伝記」だけでは、解明できなかった、物部
と蘇我の争いの謎や、古代天皇制の謎などに言及してゆくと語られています。

山上さんの考察は、今まで私達が歴史の教科書などで習ってきたものとは違
っていますが、実際に何度も現地を訪れたり、地道な努力により難解な文章
を現代語に訳したりしてきた体験に裏打ちされているので、説得力があると
私は思いました。

私達の想像をはるかに超えたスケールの大きい人物であった聖徳太子。
神仏の心につながる叡智を持って、和を大切にして政治を行なった聖徳太子。
そして私は今、日本の政治に携わっている人達の心の中に、聖徳太子のパワー
が甦って欲しいなぁと、思ったのです。



「山本さんとシロの話」  2002.11.1


山本さんは、16年間、小学校の先生をされていて、その後「等身大」の生き
方、自給自足の農を目差して退職され、今は奥さんと二人で足助に住んでいる
人です。
シロは、山本さんの実家で飼われていて、山本さんが引っ越す時に引き取った
老犬です。

シロはほとんど耳が聞こえないし、よたよた歩くおじいさん犬なのに、メス犬
の臭いをかぐとしゃんとして、後を追っていました。相手の種類も、年齢も、
体格も、いっさいおかまいなく、メスはみんな好きだったそうです。そして、
それが長生きの秘訣だったのです。

1999年の夏、シロは、自分の2倍はあるような犬に腰のところを噛まれて、
死にそうな重態になったことがあります。
その時山本さんは、シロにつきっきりで、何時間も、愉気をしたのです。
すごい反応が手の平に感じられて、シロの自然治癒力が発揮され、シロは助か
りました。

2000年の6月に、シロはすっかり体調をくずし、おもらしをするようにな
ったりして、老犬介護の状態になります。
ところが、またしてもシロは元気になります。
よろけて、こけながら散歩していたシロが、メス犬のゴールデンとすれ違った
後、見違えるようにしゃきっとして、ものすごい勢いであとを追いかけたそう
です。(相手はシロのことをふりかえることもなくさっさと行くのだけど。)
そして、シロはそれからみるみる回復していくのです。

そんなシロも、2001年9月に、18才で亡くなりました。
その時山本さんは、悲しすぎて、動悸が収まらず「心臓がおかしい」と思い込
み病院で診察を受け、検査してもらったそうです。検査結果は、問題なしだっ
たそうですが。 
そして、今年の秋、私は山本さん宅を訪れ、シロの写真をながめながら、シロ
の話を聞きました。

山本さんは、シロと一緒に過ごしたことで、「今ここを生きる」ということを
学んだそうです。
それまでは、色々なことをあれこれ思い煩うことがあったけれど、そんな時、
いつもあるがままで今を生きているシロの姿を見ることで、今ここに心をとど
め、今ここのことだけ考えればいいのだと、思うようになったそうです。
そういう生き方に憧れながらも、なかなかそうはいかない私にとって、シロか
らそれを学んだ山本さんも素晴らしいし、シロはまるで長老様みたいだと思い
ました。

自然はいつも、真理を語り続けているのだと思います。
シロと交流したり、お米や野菜を作りながら、自然の中で生きることで、山本
さんは、心と体で自然という「いのちの教科書」から色々なことを学んでこら
れたのだと思います。
そんな山本さんが書かれた文章は、大地に足をつけて生きている人の力強さが
あり、私を勇気づけ励ましてくれます。
ということで、山本さんの文章を少しだけ紹介します。

<これからの私のあり方>
1997年春以降、農も山も仕事も毎年その規模、内容、従事時間をはじめ形
がどんどん変わっていっている。多少のとまどいを感じることがある。そんな
時、自分の芯のところに、ふりかえり、ふりかえり、今やっていること、やろ
うとしていることを「心」でゆっくり反すうしてみる。心地よいか、やわらか
くなるか、内から暖かいものが流れていくか、楽しいか。今は亡きシロと接し
た楽しい雰囲気になれるか。
そうでないなら「自分の物語」でない。外の期待、価値に自分を従わせようと
しているのだ。あらゆる権威、外の期待にこたえようとするな。私は私が主人
公。
この世は、その主人公たちが「自分の物語」を自由に展開していくところなの
だ。



「夢の宇宙服」  2002.12.2


「肉体というのは、地球という星で生きてゆくための宇宙服のようなものだ。」
と、友達が言った。
それって面白い考え方だなと、私は思った。確かに、宇宙服を着て月に行って
探検するのと、肉体という宇宙服を着て地球という宇宙の中の一つの星で色々
なことを体験するのは似ている。

肉体を宇宙服と考えると、道具とか乗り物というのは、その機能をさらにグレ
ードアップさせるために、オプションで付け足していった宇宙服の一部といえ
るかもしれない。
たとえば、はさみや刃物は手でやれることを増やしてくれる手の延長上にある
ものだし、空間をより早く移動するために、車や飛行機がつくられた。

だけど、肉体という宇宙服を着て生きるということは、不自由なことでもある。
色々なものを作り出しても、肉体をまとってやれることには限界がある。そし
て限界があるためのストレスが嵩じて、人間は互いに傷つけあったり奪いあっ
たりするようになったのかなと私は思う。

たとえば死というものは、古くなった宇宙服を脱ぐことで、また違ったデザイ
ンの(性別や人種の違う)宇宙服に着替えて新たな冒険旅行、人生ゲームを体
験するということなのかなと思ったりもする。
となると、肉体という宇宙服を脱いだ時の人間って、どんな風なのだろう。
私にはまだわからない。
でも、もしかしたら人間は、地球以外の星で生きていたこともあって、その時
は肉体とは違った宇宙服を着ていたかもしれないし、宇宙服なしで存在するこ
ともできるのかもしれない。

なあんてことを考えるのは面白いけれど、今の私はそれどころではない。
この地球で生きてゆくための、私専用の宇宙服が、長年お手入れや点検を怠っ
ていたために、ボロボロに傷んでしまっていたので、あわてて修復していると
ころなのだ。(先日、胃カメラで、体の内側を撮影したら、胃の内壁が、変化
し磨耗していたのだ。)

肉体という宇宙服は、外から見ると肉の塊みたいに見えるけど、内側は実にう
まく出来ている。
温度の変化に対応するシステムとか、直立歩行が出来るための骨格の絶妙なバ
ランス構造とか、どこかが傷んだら、自動的に修復しようとする、自然治癒の
システムとかが完璧に組み込まれている。
始まりは、たった一つの細胞だったのに、どうしてこんなに不思議で素晴らし
い宇宙服が出来あがってゆくのだろう。
そのたった一つの細胞の中に、すべてのシステムの設計図や、たくさんの情報
が書きこまれていたことはわかるけど、お母さんの胎内で、だんだんに肉体と
いう宇宙服が完成していった時、その宇宙服をまとうことになる私はいったい
いつそこに宿ったのだろう。

今ここ、そういう夢のような宇宙服をまとっている私。そして、こういうこと
を考えている私。
私は、何処から来て、何処へ行くのだろう。誰も教えてはくれない。自分で知
ってゆくしかないのだ。
私は私のことをまだ、全然わかっていないんだなぁと、しみじみ思う。